2010-02-05

いざ、ホールで練習

2/2に郊外のホールへ行ってきました。

ここのホール、文句なしにとってもいいホールなのだけれども
なにせ、辺鄙。ヘンピ。へんぴ!!!

行くまでに2時間以上ですよ。。。
朝5:45に起きて6:15に家を出て
6:30のJRに乗って
途中下車して7:25のバスに乗り換えて
45分ほど乗って、途中でもういっちょ8:20のバスに乗り換えて
8:35にバスを降りて、そこから更に山道を徒歩10分!


…行くまでに疲れたわい。。。
(催し物がある時は直通の臨時バスが出るんですが…)



とブツブツ言いながらも、なんとも得がたい体験をして参りました。
この軟弱者が「さむいよう、つかれたよう」「あしいたいよう」「おなかすいたよう」「おでんたべたいよう」などと弱音の限りを吐きながら、それでもえっちらおっちら行っただけのことはありました。

まずなんと言ってもびっくりしたのは、音の伸びが家とはまったく違う、ということ。
家で弾けばいつも20秒ほど残る低音が、ホールでは30秒でも40秒でも残りそうな伸び方。
一方の高音は、家よりも残ることは残るんだけれども、それでも10秒程度で消えてしまいます。

なんだ、こののびのびとした低音は!?




「うーん、ちょっと左手や内声、うるさいんじゃない?」

幾度かAster母に言われながら、調整に調整を重ねて、ようやく「少しはバランスよくなったか?」と思う頃には


「あれ、これ…この左手……弾くってよりは『かるく触れてる』って感じ? そんなに力抜くの?? そんなに力を抜けと???(冷汗)」



カルチャーショックすぎるのもいいとこでした。
けれども、それに気付くことが出来たおかげで、

左手がんばらない

右手、左手に負けまいとムキにならなくて済む

ゆえに、後半スタミナ切れしにくくなる


三段論法すげぇぇぇパンチ



Asterは れべる2になった!(てれってってて〜



他にも、ペダルのことだとか音量のことだとか、
間の取り方(最後までうまくいかなかった)、ピアノの見え方(舞台が広くて、なんだかいつもよりピアノの幅が狭く感じられた)など、勉強になったことがたくさんあり
今回の一連の練習の中で、一番有意義な時間を過ごすことが出来たように思います。



都合が許せばもう1度くらい行きたいところですが
まあ、またいつか。 ということで。

私の“強引ぐMY道”につきあってくれたAster母と、そして
快く応対してくれたホールのスタッフの方々に、心から感謝の気持ちを送ります。

………ていうか。
遠慮なしに舞台の上(Aster)と客席(Aster母)で喧嘩してた様子、見られてなきゃいいけど。(どーん。)




ところで。
ホールでの録音を聴くと、Schumannがおとなしすぎるような気がしてなりません。

まとめすぎなのか? まとめなさすぎなのか?
『多少テンポ遅くともノーミスで』が目標のせいで、ミスを怖がっているのか??(そのくせミスるし)

かつて、いびつなのが『面白い!』と思ったのに、それはどこに行ったんだ???


※後半カオスです。

ペダルを踏んでる足が突然痛くなって(あれ? これはヤバイぞ…吊るかも。どうしよ)と思ってたら 楽譜が脳内から飛んだ!(汗)
普段から足も鍛えていないとダメですね(ため息)


この時のShumannはTempo80。
2/5現在はTempo84で大ポカがなく、かなり余裕が出てきたので、明日あたり88にテンポアップしたいところ。
92まで上げられたらいいけど、無理はしなーい。

Lyadovは、右手がギスギスした音にならないように気をつけたいけど、
なんといっても音楽が停滞しないように、情緒豊かに弾けないもんかなあ。。。
(その時々のノリによって左右されるのが如何ともしがたい。。。)



まあ、なんというか…ぐいぐい曲を弾き込むような強気な気持ちが欲しいです。
どちらもまだ、どこか曲に弾かされている感じ。

というか、95%くらい弱気だもんなあ。はあ。

あと5日(土日月火水)、がんばる。
posted by Aster at 23:59 | Comment(0) | 企画>Schumann Toccata | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010-01-21

万華鏡草子 その1(練習番号24 177-185小節)

練習を始める前に練習番号を打つのはAsterの常ですが
詳しくはコチラに書いてありますので、練習番号と聞いて「なんのこっちゃ?」と思う方はご一読下さい。



さて、1年ぶりに練習するために、Asterには思うところがありました。
それは…

「なるべく後ろのほうから練習しよう!」
「複雑なところは、(体調が)元気な日にしよう!」

要するに、テンションを持続するために、最初から順番にするのではなく、「今日、したい」と思ったところを掻い摘んで練習しようと思ったわけです。


ということで、第1日目は練習番号24を選択。1段3小節目の赤い線から、3段目3小節目の赤い線までです。

始まりは左手(C−G)と右手(E−C−E)が重なるC−E−G−C−Eから。
この形でのこのハーモニー、シューマンは好きなんでしょうね。
交響的練習曲のフィナーレ中間部でも登場しますが、私もコッソリ好きなハーモニーです。

schumann-24.PNG

参考楽譜:FREE SCORES.com


ここは以前弾いた時には、ただなんとなく弾き流していたように思います。
大きさも177小節目からけっこう大きく弾いていたような気がしますが、fが記されているのは181小節目からなんですねえ。

そんなふうに、今回じっくり眺めながら練習していると…

ここ、前半4小節(177-180節)は5声なんですねたらーっ(汗)



もう非常に反省しきりで、ここの部分は楽譜どおりに両手で弾きながら
1.Sop.を歌う(E-E-Dis-E A-A-Gis-A…)
2.Mez.を歌う(・C−C ・E−E ・A−A ・D−D…)
3.Alt.を歌う(E− A− D− G−…)
4.Ten.を歌う(C-G-FIS-G F-C-H-C)
5.Bassを歌う(C− F− H− E−…)
を繰り返しました。
こうすることでようやく5人の声が整理されてくれました。


さしずめ5人の性格は
1.Sop.おしゃまな三女
2.Mez.活発な次女
3.Alt.おしとやかな長女
4.Ten.悪戯好きな次男
5.Bass頼りになる長男
というイメージです(笑)

で、弾き具合なのですが
楽譜に青で色をつけたMez.を自己主張させてみたら、躍動感が増して、この8小節全体の単調さを打ち消してくれるようになりました。
ただ、この自己主張にはAlt.の長女Bassの長男のサポートが必要だな、と感じたので、黄緑で○印。
あ、この楽譜には1箇所間違いがあります。
3段1小節目(183小節目)の右手のCの音が、四分音符の表記が抜けていますので、要注意。
ここは他と同じように、Alt.長女にはバッチリ四分音符で歌ってもらいます。


そして茶色で書いたスラーですが、
楽譜に記したように横に流れるように感じてみたら、後半4小節で大きな「うねり」を表現できそうな気がしました。
前半と後半の間、181小節目では、一旦ブレスを取ります。




もう1つ、今後に向けて検討していきたいことがあります。

schumann-24_2.PNG

青で記した矢印についてですが、茶色いスラー以外の部分の流れについての話です。

音楽には、アルシスとテージスという流れの感じ方があります。合唱をやっていないと、ひょっとすると耳にしない言葉かもしれません。大学の講義の中でも、1度か2度しか耳にしませんでした。
人によって言い方は千差万別なのですが、私は
「アルシスは波が押し寄せ、テージスは波が引いていくのをあらわす」
といつも表現しています。こればかりは実演しないと伝わらない感じがあるとは多分に思いますが、こんな表現でご容赦下さい。。。

詳しくお知りになりたい方はグーグル先生に尋ねてみると、いっぱい答えをくれるかも(笑)


さて、上の楽譜に記した青い矢印ですが、要するに十六分音符の塊ごとに
「寄せては返す・寄せては返す・寄せては返す」のリズムを感じてみようかなと思っているところなのです。
今までは結構単調に弾いていたんだけれども。


更に後半4小節では、前半とは逆に
「返しては寄す・返しては寄す・返しては寄す」
に感じてみたらどうかな…?と思いつつも、そうするとクドくなっちゃうかな〜とも悩みつつ。


このあたりは、弾いていくうちに自然な流れを構築していくしかありませんが、
なかなか興味深い題材であるなあ、と思わずにはいられません。




アルシスとテージスの起源を辿ると、そこはグレゴリオ聖歌。

グレゴリオ聖歌 (文庫クセジュ 811)
ジャン ド・ヴァロワ
白水社
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おすすめ度の平均: 3.0
3 かなり専門的な本です。


こういう本も、真面目に読んでみたいです。
あの暗号楽譜を読めるようになってみたい。
posted by Aster at 23:59 | Comment(0) | 企画>Schumann Toccata | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010-01-19

きのうとはちがうきょう、きょうとはちがうあした

約1年前。
コンクールで弾くという目的があったため、
その時も同じように「100回練習」を経験したはずなんですが
今回の「100回練習」は、当時とは全然違う意味合いの「100回」になってきています。


以前の「100回」は、とりあえず弾けるようになるための100回でした。
でも今は、「考える100回」だな、と思ってしまいます。

ものすごく奢った発言をすれば、
私はトッカータのことを、「知ってる曲」と思い込んでいました。
でもそれは、間違っていたのだと気づかされました。

ごめん、ぜんぜんしらないきょくだった


そう言ったほうが、或いは正しいかもしれません。



この曲の最初には、作曲者注としてこんなことが書かれています。

演奏にあたって、できるだけ演奏者の自由がきくように、
解釈に間違いの生じる恐れのあるところだけに細かい指示を書いておいた。


トッカータと名付けられたからには、技巧的な曲には違いないのですが、「自由に」と言われたからには、ただざっと機械的に弾くにはもったいなさすぎます。

例えば、133小節目(1段目の1小節目)から始まるフーガは、1声ずつ重なりを増して141節目(2段目の4小節目)で5声になりますが
schumann Op.7_3

参考楽譜:FREE SCORES.com

以前の私はここが5声だということにすら気づかなかったし、(←なんか異常に弾きにくいと思うだけだった)
08年11月の記事にも書きましたが、ただ一番上と真ん中の節を出せばいいと思っていただけでした。

けれども今回、
弾きながら各声部を歌ったり、各声部に実際の声をあてたらどんな風だろう、と想像しながら弾いたりしているうちに、
5声が5人の声として響くようになってきたのです。
緑の部分を前に出しつつも、他の声部をないがしろにするのではなく、ちゃんと自分で「聴いて」いられる。だから以前よりも、みんなを歌わせて弾けるようになっている。
しばらくバッハの平均律を勉強していなくて、どうもフーガに苦手意識があったのですが、要は合唱と同じなんですよね。

そんなふうに思うことができたのは、17日の合唱講習会で、珍しく歌う側ではなく 一聴衆として、客観的に 素晴らしい演奏を耳にすることができたおかげかもしれません。
大事なところだけを機械的に出すとか出さないとかが重要なのではなく、本当は全部鳴らないといけないのです。
その上で、1歩前に出てもらう声部がソプラノだったり、テナーだったり、そんなふうに構成して行かなければならないんだなあ、と嘆息つきまくりで。


――――もしも私がこの曲を音楽的に弾きたいならば、
“みんなが歌う”という前提があるという、そんな当然ことを、全く気づいていなかった。

「ああ、私ってば弾いていたけれど、弾くのに夢中で奏でていなかったんだあ…」


それはこのフーガの部分だけではなくて、どの部分からもそう思えることなので
毎日、目から鱗が落ちまくりです。



だから……、毎日、楽しいです。
何度弾いても、新たな発見があるということが、楽しい。

練習していてこんなに楽しい曲は他にないんじゃないかって思ってしまいます。


遅筆ですが、毎日の練習の中で気づいたこと、できるだけ細かく、少しずつレポートしていきたいです。
今日もお付き合いありがとうございました。(ペコリ)
posted by Aster at 23:59 | Comment(0) | 企画>Schumann Toccata | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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